いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。聖霊を消してはいけません。(テサロニケへの手紙第一5章16節―19節)
1.詩篇107篇10節―22節
2.詩篇116篇9節―17節
3.詩篇147篇1節―11節
4.エペソ人への手紙5章3節―20節
パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と語ってから「聖霊を消してはいけません。」と、勧めています。世の人々が喜んだり、感謝したりする時は、自分の願いがかなったり、自分にとって喜ばしいことが起きるような時で、思い通りにいかないと不平不満をもらしたり、喜んでいる人をねたむようなことをしてしまうのではないでしょうか。また、祈りも何か困ったことや苦しい時には祈っても、絶えず祈ることはしないのではないでしょうか。ですから、パウロは、神は私たちに望んでおられるように、いつも喜んで、絶えず祈り、すべての事について感謝する生活をするためには、世と調子を合わせないようにすることと(ローマ人への手紙12章2節)、そのことを可能にするためにはイエス様がどのように生きられたかを忘れずに、自分の力ではとうてい無理なので、聖霊を消すようなことをしないように勧めているのではないでしょうか。イエス様は十字架の死を目前にしながら、パンを取り祝福してからこれを裂いて「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と、また杯を取り、感謝をささげて後「みな、この杯から飲みなさい。これはわたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」と仰せられて弟子たちに渡されたのでした(マタイの福音書26章26節―28節)。詩篇には何度か感謝のいけにえをささげるように勧めていますが、イエス様ご自身がその模範を示されたのではないでしょうか。罪や死から救われていることを忘れずに、救われていることを喜び、聖霊の働きを止めてしまうような肉の思いに支配されて過ちを犯しても、御霊が神のみこころに従って聖徒のためにとりなしていてくださることを感謝するとともに、すべてのことを益としてくださるだけでなく、私たちが罪に定められないようにとりなしていてくださり信仰を完成してくださるイエス様に目を注ぎ、主を喜んで、絶えず祈る、すなわち、苦難のときだけでなく、ふとした時に祈りをもって主と交わりながら生きようではありませんか。