万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4章7節)

1.ローマ人への手紙1311節―16
2.テサロニケへの手紙5章2節ー11節
3.テモテへの手紙第二31節―7節
4.ペテロの手紙第一5章7節―10節

ペテロは「万物の終わりが近づきました。」とまず語っていますが、それはイエス様が世の終わりに起こる現象について語られた(マタイの福音書24章)、イエス様のことばを信じることができたのは、イエス様がご自身の死とよみがえりについて語られたことが実際に起こったことによるものでした(ヨハネの手紙2章22節)。ペテロは万物の終わりが近づいている今、キリスト者がすべきことは「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」と、祈ること、祈る時に留意すべき点を語っています。イザヤ書30章15節に「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る』しかし、あなたがたは、これを望まなかった。」と語っています。主を信頼するよりも世の情報に翻弄されてしまうと、恐れや不安に支配されて思い煩うような状態に陥ってしまい、主の御名をもって祈っても主を信頼して信仰を伴っていないと、祈った後も喜びに満たされるよりも(ヨハネの福音書16章24節)、不安や恐れから解消されないような状態に陥ってしまうことがあるのではないでしょうか。まず静まって主がどのような方であるかを、主のご計画は私たちには理解できないほど大きなものであることを認識するなら、信仰が湧いてきて信仰を伴った祈りを捧げることができるのではないでしょうか。主はダビデが神よりも人の力、すなわち護衛をつけたので怒って、サタンがダビデにイスラエルの人口を数えさせて罪を起こさせることを許されたのでした。ダビデが人口を数えるように命じて報告を受けた時、彼は良心のとがめを感じて罪を認めましたが「このしもべの咎を見逃してください。」と言ったので、主が三つ負うべきことの中から一つ選ぶことを仰せられると、ダビデは主の手に陥ることを選んだので、ダビデが決断した朝から定められた時まで主はイスラエルに疫病をくだされたのでした(サムエル記第二23章23節―24章15節、歴代誌第一21章1節)。コロナの収束の時は主の時に起きることを思わされています。パウロが勧めているように菅総理はじめ政財界、教育界、医学界など日本のリーダーの方々が神の知恵をいただいけるように、すべての人が永遠のいのちを与えてくださるイエス様に出会うことができますように、祈ろうではありませんか(テモテへの手紙第一2章1節)。