神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。(ヘブル人への手紙1章1節―2節)
1.マルコの福音書9章2節―7節
2.ルカの福音書8章4節―18節
3.ヨハネの福音書14章6節―10節
4.エペソ人への手紙4章17節―24節
イエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くころがありません。」と話されてから、「だれも父を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べましたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来たパンで、それを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」と、話されると、ユダヤ人たちは、「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか」と言って互いに議論し合い、イエス様がさらに「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」と話されると、弟子たちの多くの者が「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」と言って弟子たちの多くの者が離れ去って、もはやイエスさまとともに歩かなかった。」とあります(ヨハネの福音書6章35節―66節)。ユダヤ人やイエス様から離れた多くの弟子たちと、イエス様ご自身が使徒として選ばれたペテロやイスカリオテでないユダたちとの違いはイエス様がたとえで話されるとその真意をイエス様に尋ねたのでした。イエス様は復活をもって主のことばは真実であることを証明されました。今日の聖句は「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」と、イエス様が人としてこの世にご降誕されたことによって、終わりの時が始まったことを示唆しているのではないでしょうか。インターネットやさまざまな媒体をもって、さまざまな情報が行き交うような時代になりましたが、主のことばは永遠のものです。この世や人のことばに惑わされず、イエス様の教えをしっかりに握って生きようではありませんか。