福音のうちには神の義が啓示されています。その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ人への手紙1章17節)
1.ルカの福音書18章9節ー14節
2.ローマ人への手紙3章9節―26節
3.ガラテヤ人への手紙3章6節―11節
4.ピリピ人への手紙3章5節―9節
パリサイ人として律法による自分の義に生きていたときのパウロは、キリスト者を迫害していましたが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知り、神の義に生きる者となったパウロは「義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち信仰による義です。しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように求めたからです。・・・私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです(ローマ人への手紙9章30節―10章4節)」と、イスラエルの民の問題点を指摘していますが、多くの方は神から与えられる神の義を知らないで、自分の義に生き、他者と自分を比較して人を見下げたりする一方、他者の方が優れていると見てとると、自己嫌悪に陥るような生き方をしてしまうのではないでしょうか。そのような生き方から解放される道は神の義に生きること以外に道はないのではないでしょうか。今日の聖句「福音のうちには神の義が啓示されています。その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」を心に据えて福音宣教の働きが祝されるように祈るだけでなく、どんな出来事も自己解釈をするのではなく、神の存在と神の主権を認めて信仰によって受け止めるなら、信仰が深められるのではないでしょうか。福音によって明らかにされた信仰の創始者であり完成者であり、恵とまことに満ちておられるイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか。