どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知識と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ人への手紙1章17節)

1.マタイの福音書1016節―20
2.マタイの福音書1613節―17節
3.ヨハネの福音書14章22節ー26節
4.ヨハネの福音書16章12節―15節

イエス様が「人々は人の子をだれだと言っていますか。」と尋ねると、弟子たちは「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」と答えたので、「あなたがたは、わたしをだれだといいますか。」と尋ねると、ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えられると、イエス様は「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことを明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と言われてから、ご自身がエルサレムに行って多くの苦しみを受け、殺されるけれども三日目によみがえられることを弟子たちに話されると、ペテロは「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」とイエス様を引き寄せていさめ始めたので、イエス様は振り向いて「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」とペテロに仰せられたように、私たちは神からの啓示を受ける時があれば、世全体を支配しているサタンは私たちに触れることはできませんが、火の矢を射ってくるので、ペテロのようにみことばよりも、自分の考えや思い、情で判断してしまうのではないでしょうか。イスラエルの民は神の力を体験し、神を知っていたはずなのに、情欲にかられると神がどのような方なのかを忘れ、神の約束を信ぜずに不信の罪を犯したのでした。神をさらに深く知るために、御霊によって正しい判断をすることができるように、パウロが「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知識と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」とエペソの聖徒たちのために祈られたように互いに祈り合おうではありませんか。