あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう」と、いつも言いますように。(詩篇70篇4節)

1.ネヘミヤ書81節―12
2.伝道者の書518節―20
3.イザヤ書611節−11
4.ローマ人への手紙4章25節ー5章11

パウロはイスラエルの民は紅海の海水を二つに分けられ道なきところに道を設けてくださることができる神の偉大さを体験しながらも、荒野でむさぼりの罪を犯したこと(民数記11章)、偶像崇拝の罪を犯したこと(出エジプト記32章1節―6節)やモアブの娘たちと姦淫の罪(民数記25章1節―3節)や主を信頼しないでつぶやいたために蛇にかみつかれて亡くなった人たちについて(民数記21章4節―6節)、約束の地を目の前にしながらも約束の地について悪く言いふらした者のことばを信じて主につぶやいて約束の地にはいることのできなかった人々について言及してから(民数記13章32節―14章29節)、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるように勧めてから「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることがなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」と、試練の背後にも神を認識して生きるように勧め、励ましています(コリント人への手紙第一10章1節―13節)。彼は福音宣教のために迫害され、囚われの身となっていながらも「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。・・私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」と語っています(ピリピ人への手紙4章4節及11節)。今日の聖句が「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう」と、いつも言いますように。」と、勧めているように、試練は私たちの信仰を強め不動の者となる作用があること、すべては私たちの益になるためであることを心に留めて、救われていることを喜び、大軍が攻めて来るのを知ってどうしてよいのかわからないような状態の中で「ただあなたに私たちの目を注ぐのみです。」と言ったヨシャパテのように、神を見えなくさせ、信仰にたてないようにしようとする思いから守られるようにお互いに「神をあがめよう」と言って励まし合おうではありませんか。