イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」(マタイの福音書21章21節―22節)
1.マルコの福音書11章12節―24節
2.ルカの福音書17章5節―7節
3.ヤコブの手紙1章5節―8節
4.ヤコブの手紙5章13節―16節
イエス様は「「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」と、信仰を伴う祈りの力がどれほどの結果をもたらすかを話されましたが、マルコの福音書11章23節は「心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」と祈る時、避けるべき心の状態を語っています。イエス様は、信仰がともなったものであるなら、「この山に向かって『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。」と約束されましたが、それは信仰をともなった祈りでは、不可能と思われるようなことも解決されることを教えてくださっているのではないでしょうか。イエス様が弟子たちに「気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」と話されると、使徒たちは「私たちの信仰を増してください。」と願いましたが、イエス様は「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。」と仰せられました。弟子たちにとって七度赦し続けることができない、と思ったのでしょう。弟子たちは「私たちの信仰を増してください。」と言いましたが、主はその願いをお聞きにならず、かえってからし種ほどの信仰、すなわち小さな信仰でも大いなる結果をもたらすことができることを話されました。聖霊に満たされたペテロは「あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と、もはや「私の信仰」ではなく、イエス様によって与えられた信仰に歩む者となり、迫害にあっても祈りによって主からの力を得て大胆に福音を語る人に変えられたのでした。私たちはさまざまな問題や試練に会いますが、キリスト者にはイエス様によって信仰が与えられていることを自覚し、懐疑心が起きないように、私たちの主はどんな問題も解決してくださるだけでなく、私たちにとって益となることを教えてくださり、信仰をも完成してくださる恵みとまことに満ちておられる方であることを心にしっかり据え、主を信頼して信仰の伴った祈りや願いを主の御名をもってささげようではありませんか。