知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。(詩篇100篇3節)
1.イザヤ書43章1節―7節
2.使徒の働き26章9節―20節
3.ローマ人への手紙5章6節ー11節
4.コリント人への手紙第一6章12節ー20節
イエス様が「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイの福音書5章43節―45節)」と、神は人と違って差別はなさらないことを言われましたが、イエス様は「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。(ヨハネの福音書17章16節―20節)」とキリスト者はこの世に属している者ではなくキリストによってこの世に遣わされた存在であること、すなわち、モーセが主に「私とあなたの民が、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。(出エジプト記33章16節)」と申し上げたように、神の民とこの世の人々の間には区別、すなわち異なった立場があることを語っています。今日の聖句「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」を心に据えて、この世の価値観や生き方、人の知恵や情報に惑わされないように、主のもの、主の民とされるためにどれほどの犠牲が払われたかを、主が主権者であることを忘れずに生きようではありませんか。