あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ人への手紙2章8節−9節)
1.ローマ人への手紙3章19節―26節
2.コリント人への手紙第一1章26節ー31節
3.コリント人への手紙第二10章12節ー17節
4.コロサイ人への手紙1章1節ー6節
エレミヤ書9章23節―24節に「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれを喜ぶからだ。―主の御告げー』」と、この世で見られる人の誇りについて語っていますが、それらの誇りはかつて流行った「勝ち組」と言われる人々、すなわち一部の人々に限られてしまうのではないでしょうか。しかし、何よりも大切なのは主を知ることであることを語っています。パウロは「私は八日目の割礼を受け、イスラエルの民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私にはキリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。(ピリピ人への手紙3章2節―7節)」と、自分を誇っている人々に対して自分はそれ以上の者であることを語るとともに、人の誇りなどはキリストを知り、キリストを信じていることに比べれば価値のないものであることを語っています。なぜなら、人の知恵や能力は罪や死、神の怒りから救う力はないからです。」今日の聖句「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」は教会を迫害していたにもかかわらず、救いを体験したパウロのことばです。救われていることを感謝するとともに、福音が多くの方々に届きますように祈ろうではありませんか。