先の事どもを思い出すな。昔のことどもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かにわたしは荒野に道を荒地に川を設ける。(イザヤ書43章18節−19節)

1.エズラ記310節―13
2.伝道者の書78節―10
3 コリント人への手紙第一15章3節ー10節
4.ピリピ人への手紙3章10節ー15節

主はご自分の民がエジプトでしえたげられ苦しんでいるのを見てモーセを遣わされ多くの奇蹟をもって民を導かれたのですが、神が約束されている地に向かって旅する途上で、主を信頼せずに何かあるごとにエジプトで苦しんでいたことを忘れてエジプトを懐かしむみ、約束の地について悪く言いふらした者たちのことばを信じて「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜が流れている。ただ、主にそむいてはならない。」と主を信頼して民に警告したヨシュアとカレブを人々は石で打って殺そうとしたので、主は20歳以上の者で約束の地に入ることができるのはヨシュアとカレブだけであること宣言されたのでした(民数記13章32節―14章29節)。神殿再建のために主の宮の基が据えられたとき、民は主を賛美して大声で喜び叫んだのですが、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは大声をあげて泣いたのでした(エズラ記3章11節―13節)。人はとかく自分が考えているような状況が得られないようなとき過去と現在を比較して「昔は良かった」と言ってしまったり、過去の失敗や過ちを思い出しては悩み苦しんで後悔し“現在”に生きることが難しくなってしまうようなことがあるのではないでしょうか。ただ、詩篇103篇2節は「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と語っていますが、それは主と主の働きを思うことは信仰に歩むための力となるからではないでしょうか。イスラエルの民が紅海を二つに分けエジプト軍の手から救われたことを思い起こすなら、彼らはエジプトを懐かしむ事なく約束の地に全員入れたのではないでしょうか。今日の聖句「先の事どもを思い出すな。昔のことどもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かにわたしは荒野に道を荒地に川を設ける。」は主のことばです。過去だけでなく明日のことを思案して悩むよりも、過去の過ちはすべて十字架で処理され救われていることを感謝するとともに、現在も将来も主の御手の中にあることを心に据えて、主を信頼して主をほめたたえて生活しようではありませんか。