あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。―神である主の御告げー(エゼキエル書34章31節)
1.サムエル記第一30章1節ー6節
2.詩篇23篇1節―6節
3.ヨハネの福音書10章1節―16節
4.黙示録7章9節―17節
パウロはエペソの聖徒たちにキリスト者になる前の状態について「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ人への手紙2章1節―3節)」と語っているように、人は自分で生きているかのように思いがちですが、人は自分の肉の欲の中だけでなく、さまざまな影響を受けながら生活していることを、しかもその影響は世全体を支配している悪い者、すなわち悪魔や悪霊の支配下にあり、神の御怒りを受けるべき者であったことを語っています。しかし、神は御子イエス様をこの世にお遣わしになり、十字架の死をもって罪の解決と神の愛を示され、イエス様を信じる者を義と認めてくださり、神の怒りから救われる道を開かれたのでした。パウロは「世と調子を合わせてはいけません」とヤコブとヨハネは世を愛さないように、すなわち世の価値観、考え方に同調しないようにと、世との関わりをどのようにすべきかを語っています。キリスト者は罪や死、神の怒りから贖われただけでなく、滅びゆくこの世からも贖われ、今日の聖句が「あなたがたはわたしの羊、わたしの牧場の羊である。あなたがたは人で、わたしはあなたがたの神である。―神である主の御告げー」と語っているように、主のものとされているだけでなく、主の牧場、すなわち神の守りの中で日々養われる立場にあることを感謝するとともに、この世を支配している悪魔の策略に陥らないように、どんな状況下にあっても自分は人であり、主は神であることをしかも神の子とされていることをしっかり心に据えて、ダビデが窮地に陥った時「彼は彼の神、主によって奮い立った。」とあるように、良い羊飼いであるイエス様が聖霊なる神として内住していてくだることを、信仰を完成させてくださるイエス様を見上げようではありませんか。