あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。(詩篇139篇3節)
1.詩篇139篇13節−18節
2.使徒の働き13章13節―22節
3.ローマ人への手紙8章28節ー34節
4.コリント人への手紙 第一4章4節―5節
人はいつ、どこで、両親はだれになるのか、またどのような人生、すなわちどような道を歩むのかを知らずに生活していますが、教会を迫害していたにもかかわらず使徒とされたパウロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ人への手紙1章3節―5節)」と語っています。アダムは「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と警告されていたにもかかわらず、蛇に化身した悪魔の偽りのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べたエバから渡されると妻であるエバの声に聞き従い(創世記3章17節)食べて罪を犯したのですが、神は、悪魔に対して「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼はおまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」と、悪魔に致命傷を与え、人類を救うために、御子イエス様をこの世に人として遣わされることを預言されたのでした(創世記3章15節はじめイザヤ書など)。罪人さえも救おうとされた神が私たちの神であることを、今日の聖句が「あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。」と語っているように、私たち以上に私たち自身のことだけでなく、私たちがどのような道を歩むかをご存知であり、私たちを守り導いてくださる主を信頼し、自分の考えで行動して窮地に陥ってしまったような時、さまざまな罪を犯したダビデがいつも主に立ち返ったように、恵みとまことに満ちておられる主に立ち返るようにしようではありませんか。