一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ人への手紙12章4節−5節)

1.マタイの福音書2026節―28
2.ガラテヤ人への手紙513節―25
3.ペテロの手紙第一4章7節―11節

パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と、この世の人々は他者と比較し、高ぶったりへつらったりするようなことをしてしまいがちですが、キリスト者はそのような生き方をしないように、神との関係を第一に考えて生活するように勧告してから、「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに期間なのです。」と、世と調子を合わせなくてすむ秘訣は、個々人が、キリストのからだを構成するひとりひとりであることを自覚することにあることを語っているのではないでしょうか。からだには手足のように目に見える器官と働きがあるとともに目に見えない内臓とその働きがあるように、人の目にふれる働きと、祈りのように人に知られない働きがありますがー内臓が目に見える動きを支えているように祈りのご奉仕こそ大切なものですがーどちらも欠くことのできない働きであることを、パウロが「使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。(ガラテヤ人への手紙1章1節)」と証しているように、イエス様を受け入れたキリスト者は血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれた存在であることをお互いに自覚し(ヨハネの福音書1章12節―13節)賜物は互いに仕え合うものであり(ペテロの手紙第一4章10節)、キリストのからだを建て上げるために各自に与えられていることを心に据えて肉の思いや肉の行い(ガラテヤ人への手紙5章16節―21節)に走らないようにしようではありませんか。