人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイの福音書16章26節)

1.詩篇491節―15
2.ヨハネの福音書1125節―26
3.エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.ヨハネの手紙 第一5章12節ー13節

イエス様は「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイの福音書10章28節)」と、死には二種類のものがあることを語っています。すなわち、「死」には、肉体の死だけでなく永遠に悪魔や悪霊、にせ預言者たちと永遠に昼も夜も苦しみ続ける、すなわち地獄で永遠に苦しみから解放されることのない永遠の死があるように(黙示録20章10節)、「いのち」に関してもヨハネの福音書3章16節が「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることがなく、永遠のいのちをもつためである。」と、語っているように、肉体のいのちだけでなく永遠のいのちがあることを語っています。主は人の齢を百二十年にしようと覆えられたように(創世記6章3節)、肉体のいのちは歳を重ねる中で衰えるものであり、永遠に生きることができないものですが、イエス様によって与えらるいのちは死によって消滅するようなものではなく、肉体の死は、神とともに死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない天国で永遠に生きるいのちへの門にすぎないことを聖書は語っています。今日の聖句「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」は、イエス様のことばであり、日本語は「いのち」と訳していますが、英語訳は「soul:たましい」と訳されました。神は御子イエス様を「なだめの供物」としてこの世にお遣わしになり、この世や人にとって不可能な救いの道を開かれたのでした。キリスト者には永遠のいのちが与えられていることを感謝するとともに、永遠の死、永遠のいのちをご存知ない方々、コロナの恐怖の中におられる方々、菅総理はじめ菅内閣、政財界、教育会のリーダーの方々に福音が届くように祈ろうではありませんか。