私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。(詩篇104篇34節)

1.ネヘミヤ記89節―12
2.詩篇1912節―14
3.コリント人への手紙 第一2章11節ー16節
4.ピリピ人への手紙4章4節

イエス様は「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章38節−39節)」と、話されましたが、ご自身を一粒の麦にたとえて話されてから「今、わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と、ご自身がこれからエルサレムでどれほどの苦しみに会うのかをご存知だったので「わたしの心は騒いでいる」と告白されましたが、与えられている使命を思い起こし十字架の死にまでも従われたのですが、「父よ。御名の栄光を現してください。」とも祈られました。その祈りに対して、天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」という声があったように(ヨハネの福音書12章23節―28節)、三日目に死者の中からイエス様がよみがえられたことによって栄光を現されたのでした。今日の聖句は「私の心の思いが神のみこころにかないますように。」と祈るとともに、「私自身は、主を喜びましょう。」と、それが可能になるための秘訣を語っているのではないでしょうか。永遠の死、すなわち地獄から救うためにご自身をささげられ、神の恵みと愛がどのようなものであるかを明らかにされ、どんな時にも私たちを見捨てるどころか、背負っていてくださる主を喜ぶなら、心の思いが神のみこころにかなうものとなるのではないでしょうか。私たちが主を喜ぶとバプテスマを受け聖霊に満たされたイエス様に「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と仰せられたように、神は私たちのことを喜ばれるのではないでしょうか。主のしもべとして主が喜ばれるように生きようではありませんか。