私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章13節)
1.士師記5章11節―24節
2.箴言3章3節ー7節
3.コリント人への 手紙第一1章22節―31節
4.コリント人への 手紙第一1章22節―31節
パリサイ人であったときのサウロとも呼ばれていたパウロは祭司長から与えられた権限をもってキリスト者を迫害していましたが、ダマスコの途上で天からの光によって地に倒れてしまっただけでなく、視力を失い人々に手を引いてもらわなければならないような状態に置かれたのでした。パウロは自分の力がいかにもろいものであるかを知ることになったのではないでしょうか。ダマスコに着くと主から遣わされたアナニヤから「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」と告げられたので、バプテスマを受けてキリスト者となりました。聖霊の力に満たされたパウロは、イエスは神の子であることを、イエスがキリストであることを証明され、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせたのですが、そのことによってユダヤ人からいのちを狙われることになったのです(使徒の働き9章1節―24節)。迫害していた者が迫害される立場に逆転したのですが、神の力がどれほどのものであるのかを知ったパウロは迫害の中にあっても、三度主に願っても主から「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われ、願いがかなえられくても、それは高ぶらないためであることを悟らされ、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」と驚くべき発言をされています。通常、人はとかく弱さを隠したり、嘆いたり、自己嫌悪に陥りやすいものですが、そのような時こそ、主はご自身の力を現そうとされておられるのではないでしょうか。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。」と語っているパウロのように、私たちを強くしてくださる主に生きるために、私たちの抱えている問題や悩みだけでなく私たち自身を主にゆだねるようにしようではありませんか。