あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)
1.サムエル記 第二7章12節―16節
2.歴代誌第二20章1節―24節
3.ヨハネの福音書1章1節―13節
4.ヨハネの福音書3章1節ー7節
ヨハネの福音書1章11節―13節が「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」と語っているように、生まれながらの血筋によるものではなく、イエス様を信じたことによって十字架で流された血によって罪の赦しが与えらるとともに血液関係がもたらされダビデに約束された親子関係が成立することになり(サムエル記 第二7章14節)、今日の聖句が「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と語っているようにイエス様を信じることによって聖霊が与えられ(ヨハネの福音書7章39節)、神を父と呼ぶ特権が与えられているのです。おびただしい大軍が攻めてくることを知って恐れたヨシャパテが「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」と、主に助けを求めると、主は「あなたがたはこのこびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」と仰せられ「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と賛美すると、主は伏兵を設けるだけでなく残党は同士討ちをするようにされ、大勝利を与えられたのでした(歴代誌第二20章1節―23節)。恐れや思い煩で悩み恐れを抱くようなとき、子とされている事を思い起こすとともに、私たちが「アバ、父」と呼ぶ神に対抗できる力は存在しないことを心に据えて、ヨシャパテのように「どうしてよいのかわかりません。ただあなたに目を注ぐのみです。」と主に祈ろうではありませんか。