いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。(イザヤ書57章15節)

1.詩篇3415節―18
2.イザヤ書661節―2
3.ダニエル書44節―37
4. ルカの福音書18章9節―14節

ダニエルはネブカデネザル王が見た夢を解き明かされてから、高ぶりの罪を犯さないように申し上げたのですが、警告を受けてから一年後にネブカデネザル王は「この大バビロンは、私の権力によって、王の家にするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」と高ぶって自分を誇った途端に人間の中から追い出され、みじめな生活をしたのですが、主が仰せられたように七つの時が終わったとき、彼に理性が戻り主をほめたたえる者となり、以前にもまして大いなる者になりましたが、もはや自分を誇る者ではなく、今日の聖句が「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」と語っているように、「天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」と告白し、まことの礼拝者となったのでした。エレミヤ書23節―24節が「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。』誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。」と語っているように人はとかく自分の能力や豊かさを誇りますが、主が喜ばれることは、主がどのような方であるかを知っていることであることを語っています。主は私たちの心に聖霊なる神として内住しておられがゆえに、いつもともにいてくださることを感謝し、主を誉めたたえて生きようではありませんか。