天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。(イザヤ書49章13節)

1.イザヤ書4421節―23
2.マルコの福音書630節―34
3.コリント人への手紙第二1章1節―6節

ソロモンが「私は再び、日の下で行われるいっさいのしいたげを見た。見よ。しいたげられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。(伝道者の書4章1節)」と、語っているように「日の下」すなわち、この世では、権力を持った者がすべてを見ておられる神を知らないと、独裁者になりがちになり、その権力を自分の益のために使って国民をしいたげるようなことをしてしまうのではないでしょうか。主はご自分の民、イスラエルがエジプトにおいてヨセフを知らないパロのもとでしいたげられているのをごらんになられ、エジプトから民を導き出すためにモーセを遣わされたのでした。主の使いがは羊飼いたちに「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」と告げると、その御使といっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と賛美したのでした(ルカの福音書2章4節―14節)。今日の聖句「天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。」を心に据えて、慰めが必要な時、すべてをご存知であるだけでなく、すべてを益としてくだる主を見上げ、悩みがあるときには、その悩みを正直に申し上げるとともにその悩みを主の御手にゆだね、祈りをお聞きくださる主を、私たちを救うために御降誕された主を喜んで、心と思いを守っていただこうではありませんか(ピリピ人への手紙4章6節―7節)。