みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。(詩篇119篇160節)
1.詩篇33篇1節―12 節
2.詩篇119篇137節―142節
3.イザヤ書11章1節―5節
ヤコブは「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体も立派に制御できる完全な人です。(ヤコブの手紙3章2 節)」と語ってから、「舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち、このようなことがあってはなりません。(ヤコブの手紙3章8節―10節)」と語っているように、人は感情に支配されがちなので、深く考えずにその日その時の気分次第で語ることばが決定されてしまうような安定感のない弱さをもっているのではないでしょうか。一方、イエス様は父なる神に「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください、あなたのみことばは真理です。(ヨハネの福音書17 章16節―17節)」と弟子たちのために祈られました。イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と、自分を義人だと自任し、他の人々を見下しているパリサイ人のように、律法による自分の義以上の義について語りました。パウロが「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それはご自身の義を現すためです。(ローマ人への手紙3章25節)」と語っているように、神の義は罪人を救うために十字架で見られるような崇高なもので人の考えでは理解できないほどのものです。神は恵みとまことに満ちておられることを心に留めて、今日の聖句「みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。」を心に留めて、真理のみことばそのものに生きるようにしようではありませんか。