幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道に歩む者は。(詩篇1281節)

1.伝道者の書1213節―14
2.マタイの福音書1626節―27
3.ルカの福音書12章13節―31節

主を愛していたソロモンは主から、知恵の心と判断する心とを与えていただいただけでなく、彼が願わなかった富や誉れを与えることを、父ダビデが歩んだように、主のおきてと命令を守って、主の道を歩むなら、「あなたの日を長くしよう。(列王記 第一 3章3節―14節)」と約束されたのですが、ソロモンは主から与えられた知恵の心と判断する心を用いて天の下、すなわち創造者なる神を考慮しないこの世の人々と同じ生き方を試して豊かな富を築き上げたのでした。シェバの女王はソロモンを試そうと難問をもってソロモンを尋ね、心にあったすべてのことを質問したのですが、ソロモンは彼女のすべての質問を解き明かされたことや、食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度と服装、献酌官たちや主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、「私が国であなたの事績とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは。(列王記 第一10章1節―8節)」と王に言いましたが、ソロモンは「私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。(伝道者の書2章9節―11節)」と、日の下、すなわちこの世が与えることができるのはむなしさしかないことを語ったのでした。私たちは自分にないものが与えられれば、自分の願いがかなえられれば幸せになると考えがちですが、この世が与えることのできるすべての物を持ち、自分を喜ばせるために自分の思いのままに生活しましたが、彼は「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節―14節9)と、結論づけたのでした。今日の聖句「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道に歩む者は。」を心に据えて、最も幸いな事、すなわち、主を恐れる、すなわち恵みとまことに満ちておられる主がどんなに偉大な方であるかを思い起こすとともに、主の道を示しているみことばで生活しようではありませんか。