主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大楯であり、とりでである。(詩篇91篇4節)

1.ヨハネの福音書19節―17
2.コロサイ人への手紙32節―3
3.テモテへの手紙 第二 211節―13
4.ペテロの手紙 第一1章3節―9節

黙示録12章17節は「竜」すなわち悪魔は、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちに戦いをいどむことを語っています。ですから、パウロは「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのももの上に、信仰の大楯を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。(エペソ人への手紙6章10節―17節)」と、さまざまな策略をもって戦いをいどんでくる目に見えない敵である悪魔に勝利する秘訣を語っていますが、神のすべての武具を見ると、それはキリストそのものを語っているのではないでしょうか。ヤコブの手紙1章14節―16節が「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たちだまされないようにしなさい。」と語っているように、悪魔は欲に生きるように策略を練って来ます。エバ同様、イエス様も悪魔の試みに会いましたが、悪魔の策略に勝利したのは、みことばで対処したことと、イエス様には欲がなかったことにあるのではないでしょうか。雛鳥を守るために親鳥は自分の羽で大いますが、雛鳥を目掛けてくる敵とは命がけで戦います。イエス様は罪人を罪や死だけでなく悪魔の手から救うために十字架の死を味わわれましたが、悪魔の最大の武器である死に復活をもって勝利されました。主はペテロが悪魔の試みあい、三度主を知らないと言うことをご存知で、彼の信仰がなくならないように祈られたのでした。パウロも「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである(テモテへの手紙 第二 2章13節)」と語っているように、十字架の死にいたるまで従われた真実な主のうちにある者とされていることを喜んで、主をほめたたえて生きようではありませんか。