わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)

1.詩篇83節―8
2.エレミヤ書18章1節ー4節
3.ローマ人への手紙827節―30
4.コリント人への手紙 第二 36節―18

ヨブ(ヨブ記3章)やエレミヤ(エレミヤ書20章)ほどの苦悩に会わなくても、その人にとっては耐えられないと思うような試練にあって苦悩するような状態に置かれると、「生まれてこないほうが良かった」と思ってしまうことがあるのではないでしょうか(伝道者の書4章1節ー4節)。主に「あなたは永遠から永遠のお方で、すべてのことをご存知な方で、人が罪を犯すことも、権力闘争をし、正しい人がしえたげられることや善を悪、悪を善とするようなこと、正義が通じないようなことを最初からご存知であったのになぜ人を創造されたのですか。」と訴えたことがあります。そのような時、「今、私は一部分しが知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります(コリント人への手紙第一13章12節)」を、詩篇8篇3節―5節「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは、人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みるとは。あなたは、人を、神よりもいくらか劣るものとし、これに栄光と誉の冠をかぶらせました。」を思い起こしました。コリント人への手紙 第一 15章40節―44節は「天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。」と、ペテロの手紙 第一5章10節は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわちあなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と、キリスト者には永遠の栄光が与えられていますが、主は、主の栄光を現すために、主の気に入った器になるために整えてくださるだけでなく(エレミヤ書18章4節)、すべてのことを働かせて益としてくださることを感謝し、今日の聖句が「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と語っているように、すべてのキリスト者は神の栄光のために生かされていることを心に据えて生活しようではありませんか。