私は、貧さの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙412節―13節)

1.詩篇6832節―35
2.イザヤ書4027節―31節
3.コリンと人への手紙第一15章3節ー10節
4.コロサイ人への手紙1章9節ー12節

主を愛していたソロモンに夢のうちに現れた神が「あなたに何を与えようか。願え。」と尋ねると、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と申し上げたので、神は「わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもいなさい。」と、神が富と誉を与えると約束されたのですが(列王記 第一3章3節―13節)、彼は「私は心の中で、私の心は知恵によって導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が短い一生の間、天の下ですることについて、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。」と、「愚かさ」、すなわち神を認めない世の人々と同じ生き方をし、シバの女王がうらやむほどの生活をしていたのですが(列王記 第一10章4節―8節)、ソロモン自身は「私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」と嘆かれ(伝道者の書2章3節―11節)、「結局のところ、もうすべてのことが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)」と神とともに生きることこそ人が歩むべき道であることを悟ったのです。パウロは「私は、貧さの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。」と、境遇に動じないように訓練されたこと、弱さの中に完全に現れる神の力で生きておられることを証しされました(コリンと人への手紙 第二12章9節ー10節)。ヤコブの手紙5章13節が「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」と勧めているように、どんな状況下においても主を認めて生きようではありませんか。