いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(詩篇36篇9節)

1.ヨハネの福音書11節―5
2.ヨハネの福音書43節―14
3.ヨハネの福音書81節―12
4.ヤコブの手紙1章12節ー18節

「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と、律法学者とパリサイ人が問い続けたので、イエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に石を投げなさい。」と仰せられると、律法学者とパリサイ人以外の人々は年長者たちから始めてひとりひとり出て行ったのでした。イエス様は身を起こして「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はいなかったのですか。」と尋ねると、彼女が「だれもいません。」と答えると、イエス様は「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられたのでした。彼女は石で打たれる代わりに、赦しといのちを得たのでした。イエス様はその場にとどまっていた律法学者やパリサイ人に「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と仰せられました。パウロは世全体を支配しているサタンは光の御使に変装することを語っているように(コリント人への手紙 第二 11章14節)、神が善悪の知識の木から取って食べると必ず死ぬと警告したことばを「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と、神のことばを完全に否定しただけでなく、神が禁じた本当の理由を自分は知っているかのように話し、エバとアダムが罪を犯すように仕向けたのでした。イエス様は「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら、彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。(ヨハネの福音書8章43節―44節)」と世全体を支配している悪魔の本質を語る一方「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられました。この世や人の知恵に惑わされないために、今日の聖句が「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」と語っているように、いのちの泉であり世の光、人の光であるキリスト・イエスに属する者として、いのちのことばをしっかり握って満ち足りた心を以って真の光の中を歩もうではありませんか。