神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたから逃げ去ります。(ヤコブの手紙47節)

1.サムエル記 第二517節―24
2.列王記 第一1821節―39
3.歴代誌 第二 2012節―26
4.ヤコブの手紙1章12節ー22節

パウロは「終わりに言います。主にあってその大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」と、言ってから「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾をとりなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」と神の武具について語っていますが(エペソ人への手紙6章10節―17節)、それは「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(ローマ人への手紙13章14節)」と警告しているように、キリストを着ることではあり、日々みことばで生きることを奨励しているのではないでしょうか。ダビデもヨシャパテもエリヤも主に祈り、主のことばに従って行動したときに主は勝利を与えられました。ヨブ記1章と2章の記事を読むと、サタンは自然災害や略奪隊、すなわち人を使って試練をもたらすことができるように、またヨブを重い腫物で悩ませたように、さまざまな試練の背後にサタンの働きがあることを見ることができますが、神はサタンがヨブのいのちを取ることを許さなかったように、サタンは神の許す範囲内でしか働けないこと、神はヨブが神をのろうようなことはしないことをご存知でサタンの攻撃を許されたことをも見ることができますし、ヨブの「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ記42章4節)」という告白にみられるように、試練の背後に神の大きなご計画があることを見ることができます。試みる者はサタン(悪魔)ですが、今日の聖句「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたから逃げ去ります。」を心に据えて、悪魔に目を留めるのではなく、悪魔と闘うのではなく、神に従う、すなわち、信仰の完成者であるイエス様を仰ぎ見て、悪魔の試みにみことばで勝利されたイエス様のように(マタイの福音書4章1節―11節)、みことばで生きるようにしようではありませんか。