私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。(ローマ人への手紙2章16節)

1.ヨハネの福音書524節―27
2.コリント人への手紙 第一4章3節−5節
3.コリント人への手紙 第二 51節―10

神は、まず罪人を救うために御子イエス様をこの世にお遣わしになりましたが、雲に包まれてイエス様は昇天されたので天を見つめていた弟子たちに白い衣を来た人、すなわち御使いが「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか、あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。(使途の働き1章9節―11節)」と言われたように、イエス様は再びこの世に来られますが、その時には罪を負うためではなく、主を待ち望んでいる人々を救うために(ヘブル人への手紙9章28節)「王の王、主の主」として義をもってさばきをし、戦うために来られるだけでなく(黙示録19章11節及び16節)、今日の聖句が「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。」と語っているように、やがて地も天もあとかたもなくなった後、すべての人はよみがえって一生涯の罪がさばかれるのですが、キリスト者の場合は、イエス様が大声で「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人はさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。(ヨハネの福音書12章44節―48節)」と仰せられたように、キリスト者の一生涯の罪は十字架で処理されているだけでなく、さばく権威が与えられているイエス様は聖霊なる神としてキリスト者の心に内住されておられるために称賛が届くという恵みにあずかっているのです(コリント人への手紙 第一 4章3節)。主は私たちの弱さをご存じで罪に定められないようにとりなしていてくださる事を心に留めて救われている事をお互いに喜ぶだけでなく、人々の救いのために祈ろうではありませんか。