神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。(コロサイ人への手紙1章27節)
1.コリント人への手紙 第一 3章18節―4章7節
2.エペソ人への手紙1章3節―14節
3.ペテロの手紙 第一 1章3節―9節
イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれと言いますか。」と尋ねると、ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えましたが、イエス様は「バルナバ・シモン。あなたは幸いです。このことを明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と仰せられてからご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められると、ペテロが「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」とイエス様を引き寄せていさめ始めたので、イエス様は「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(マタイの福音書16章15節―17節及び20節―23節)」と、捕らえられる前に「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカの福音書22章31節―32節)」と仰せられたのですが、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と告白したので、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と預言されたのでした。ペテロは三度イエス様を知らないと言ってからイエス様のことばを思い起こし外に出て激しく泣いたのでしたが、よみがえられたイエス様に会ったペテロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(ペテロの手紙第一 1章3節)」と、死が消滅させることができない栄光の望みを持つ者となったのでした。今日の聖句が「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」と、パウロが「御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。(ローマ人への手紙8章23節ー24節)」と語っているように、キリスト者は主と同じ栄光の姿に変えられるという栄光の望みがあることを感謝して生きようではありませんか。