目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)
1.ローマ人への手紙13章11節ー12節
2.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
3.テサロニケへの手紙 第一 5章14節―18節
イエス様は湖で網を打っていた漁師ペテロとペテロの兄弟アンデレに「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と声をかけたので、彼らは網を捨てて主に従いましたし、ヤコブとその兄弟ヨハネを呼ばれたので、彼らもイエス様に従ったのですが(マタイの福音書4章18節―22節)、声をかけた順で弟子を決定したのではなく。イエス様は山で神に祈りながら夜を明かされ、夜明けに弟子たちを呼び寄せてその中から十二人を選ばれ使徒という名をつけられたように(ルカの福音書6章12節―13節)、主はよく祈られたのでした。 パウロは「私たちの格闘は血肉に対する者ではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように神のすべての武具をとりなさい。」とキリスト者には霊的戦いがあること、神のすべての武具(真理の帯、正義の胸当て、平和の福音、信仰の大楯、救いのかぶと、神のことば)をとるように勧めてから「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語ることばが与えられるように」と、やはり祈りの大切さを語っています(エペソ人への手紙6章12節―19節)。ところで、今日の聖句は「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」と単に祈るのではなく、「目をさます」今の時がどのような時なのか、何を祈るべきなのか、私たちが祈りをささげる神はどんな偉大な方であるかを心に留めるとともに、恐れや心配や思い煩いが湧いて来ると、想像力を働かせて最悪の状態を想定してしまいがちになりパニック状態に陥りやすいものですが、どんな時にも主は私たちとともにおられること、私たちの祈りをお聞きくださる神であることを感謝し、「父の許しなしには雀一羽たりとも地に落ちることはない(マタイの福音書10章29節)」と仰せられた主のことばを思い起こし、理解できないような出来事にも主のご計画があることを認め、主に期待してたえず祈ろうではありませんか。