キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれるのである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(ガラテヤ人への手紙3章13節―14節)

1.使徒の働き1332節―42
2.ローマ人への手紙718節―84
3.ペテロの手紙 第一3章8節―9節

申命記27章26節に「『このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。』民はみなアーメンと言いなさい。」とありますが、ヤコブの手紙2章8節―10節は「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたの隣人をあなた自身のいように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。」と語っています。ところで、パウロは「さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、律法を行うことによってはだれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです(ローマ人への手紙3章19節―20節)。」と語るとともに「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人への手紙8章3節)」と更に「あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。(コロサイ人への手紙2章13節―14節)」と語っています。今日の聖句が「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれるのである『と書いてあるからです。このことは、アブラハムの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」を心にしっかり据えて、どんなことがあってもキリスト者はのろわれているのではなく、祝福されている者であることを、どんな出来事にも主の目的とご計画があることを、問題や苦悩は主が信仰の深みに導こうとされていることをわきまえて、すべてを益としてしてくださる主を見上げて生きようではありませんか。