あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。(詩篇4章7節)

1.ヨハネの福音書157節―11
2.ヨハネの福音書1616節―24
3.テサロニケへの手紙 第一 14節―7
4.ヘブル人への手紙11章6節ー18節

神から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わって見るがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんと、むなしいことか。笑いか、ばからしいことだ。快楽か。それがいったい何になろう。私は心の中で、私の心は知恵によって、導かれているが、からだはぶどう酒で元気づけようと考えた。人の子が一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。(伝道者の書2章1節―3節)」と、愚かさ、すなわち、神を考慮しない世の人々と同じ立場に立ってこの世を探索する中で、「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。(伝道者の書5章19節―20節)」と、ちょうどパウロが「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙  第一 6章6節)」と語っているように、富や財産を人と比較して他者をうらやむような生き方ではなく、神との関係においてもたらされる喜びの世界を語っています。喜んでいるとき笑いがこぼれることもありますが、箴言14章13節は「笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる」と、心の状態を隠すために笑って楽しそうに振る舞うことがあることを語っています。とこで、ダビデは「あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。」と、この世が与える喜びにまさる喜びを主は心に与えてくださることを語っています。その喜びはパウロが「あなたがたも多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」と、語っているように状況に左右されないものだからではないでしょうか。ヘブル人への手紙12章3節は、心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにイエス様のことを考えるように勧めています。パウロが「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(コロサイ人への手紙3章2節)」と勧めているように、神のさばき、罪や死、地獄から救われていること、やがて死も悲しみも、叫びも苦しみもない天国(黙示録21章4節)で主とともに永遠に生きる将来があることを喜んで生活しようではありませんか。