わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主はいつまでも、あなたがたと、ともにおられます。その方は真理の御霊です(ヨハネの福音書14章16節ー17節)
1.詩篇23篇1節ー6節
2.詩篇139篇1節―12節
3.ヨハネの福音書14章18節―20節
4.使徒の働き18章9節―11節
イエス様は弟子たちに「わたしは天においても、地においてもいっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国々の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイの福音書28章18節―20節)」と、使命を与えられただけでなく、世の終わりまで、いつも一緒におられることを約束されましたが、「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章49節)」と言い残して雲に包まれて見えなくなり、昇天してしまったのでした。しかし、主は真実な方なので、ペンテコステの日に約束されたように助け主である聖霊を下されたので、弟子たちは聖霊の力に満たされたのでした。パウロは「聖霊を悲しませではいけません(エペソ人への手紙4章30節)。御霊を消してはなりません。(テサロニケへの手紙 第一 5章19節)」と、勧告しておられますが、イエス様は「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主はいつまでも、あなたがたと、ともにおられます。」と約束されたのでした。ですから、肉の思いで行動して聖霊を悲しませたり、御霊の働きを妨げるようなるようなことをしても、キリスト者から聖霊が取り去られることはなく、私たちの弱さをよくご存知なイエス様が罪に定められないようにとりなしておられるのと同様に、御霊も神のみこころに従ってキリスト者のためにとりなしていてくださるのです(ローマ人への手紙8章26節―27節)。自分が願っているような結果がでなくても、さまざまな試練が臨んでも、「自分は主から捨てられたのではないか」とか「主から見放された」などと感情が訴えても、そのような偽りのことばにだまされないように、主はいつもともにいてくださることを、助け主である御霊が与えられていることを感謝し、主の平安の中に生きようではありませんか(ヨハネの福音書14章27節)。