あなたの義は、永遠の義、あなたのみおしえは、まことです。(詩篇119篇142節)
1.詩篇111篇1節―3節
2.ローマ人への手紙3章19節ー30節
3.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
人はとかく他者よりも自分こそ正しいという自分の義や自分の考えにそって自分勝手に生きてしまいがちになりますが、その原因は神と神の義を知らないことにあるのではないでしょうか。律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知ったパウロは「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ人への手紙10章1節―4節)」と語っています。ソロモンが「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか(新改訳第三版)。あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。(口語訳):伝道者の書7章16節)」と、警告しているように、人は生まれてから世を去るまでの間、過ちや罪を積み上げながら生きているために、人には誇れても聖い神の前では誇ることができる人はひとりもいませんし、かえって罪や過失が暴かれ、さばかれてしまうからでではないでしょうか。しかし、今日の聖句が「あなたの義は、永遠の義、あなたのみおしえは、まことです。」と語っているように、イエス様を信じたなら、全生涯の罪や過失は赦され、永遠の義が与えられているのです。その保証は、「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と仰せられた恵みとまことに満ちておられる主の教えにあることを語っています。「義」は「我」の上に「羊」が乗っています。イエス様が冠であり、「我」を覆っていてくださっているのです。キリスト者には神の義である永遠の義が与えられており、決して罪や過失がさばかれることがなく、かえって称賛が与えられるというみことばを(コリンと人への手紙 第一 4章4節―5節)心に据えて、自分で自分をさばくようなことをせずに、十字架で救いの道を開いてくださった主を誉めたたえ、主に感謝して生きようではありませんか。