知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。(詩篇100篇3節)
1.詩篇23篇1節―6節
2.詩篇ヨハネの福音書3章1節―7節
3.ヨハネの福音書10章1節―16節
パウロはキリスト者になる前は律法学者でパリサイ人ガマリエルのもとで学び、「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人でその熱心は教会を迫害するほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」と語っているように律法に対する知識は持っていましたが、使徒たちを殺そうと計った大祭司とその仲間たちであるサドカイ派の人たちに「あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。(使徒の働き5章27節ー39節)」と警告した彼の師であるガマリエルのようでなく、自分の考えで教会を迫害していたのですが、キリスト者となり聖霊に満たされた彼は今日の聖句が「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」と語っているように、神を知る者となり「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです(エペソ人への手紙2章10節)。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。(コリント人への手紙 第一6章19節―20節)」と勧めています。キリスト者は主を信じることによって神の子とされていることを、主が約束の地に入るまで荒野を旅するイスラエルの民を昼は雲の柱、夜は火の柱をもって常に導かれたように、主は天に召されるまで私たちを養い、守り導いてくださることを心に据えて、主を忘れさせようと悪魔が恐れの矢を射って来ても、牧場には羊を守るために囲いがあるように、主の牧場の羊、すなわち悪魔にすでに勝利している主イエス・キリストのうちにあって守られていることを、人にとって一番大切な「主こそ神である」ことを知る恵みにあずかっていることを感謝しようではありませんか。