心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3章4節―5節)

1.申命記811節―18
2.イザヤ書556節―13
3.ローマ人への手紙1125節―34

主はモーセに「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」と仰せられ、彼をエジプトに遣わしたのでした。主は彼を用いて数々の奇蹟を行われたので、民はエジプトから解放され約束の地に向かったのですが、エジプトの王パロ が戦車六百と全戦車をもって民を追跡したため、前には紅海、後からはエジプト軍という状況に置かれた民は、主の偉大さを経験していたにもかかわらず、主を忘れ、エジプト軍を恐れ「エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かった」とモーセを非難したのですが、パウロが「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙 第一 10章13節)」と語っているように、主は脱出の道を備えておられたのですが、それは、人には考えられないような道、すなわち主は紅海を二つに分けられたのでした。ですから、詩篇77篇19節は「あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。」と語っています。人が見たことも聞いたこともない道を主は備えておられるのです。自分の考えや経験によって物事を判断するのではなく、「天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い(イザヤ書55章9節)」と仰せられた主のことばを心に留め、今日の聖句が「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と勧めているように、主が主権者であることを認め、どのような状況に置かれても、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様を仰ぎ見て生活しようではありませんか。