何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(ヨハネの手紙 第一 5章14節)

1.列王記 第一 33節―12
2.テモテへの手紙 第一 21節―4
3.ヤコブの手紙41節―4

人はさまざまな願いを持ちますが、その願いは自分にないものを得ようとする欲によるものであり、この世が与えることのできる範囲内のものになりがちなものであり、その願いが達成すると自分を信じて確信をもっても、願い通りにいくかどうかという保証はないのではないでしょうか。主が「あなたに何を与えようか。願え。」と仰せられたので、ソロモンが「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなくば、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と申し上げた願いは、主が「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心を与える。」と仰せられたように主のみこころにかなった願いであったので、彼は神から知恵の心と判断する心が与えられたのですが、その鍵はソロモンが主を愛したことにあるのではないでしょうか(列王記 第一 3章3節―12節)。今日の聖句は「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」と、語っています。パウロは「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません(コリンと人への手紙 第一 2章11節)。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です(テモテへの手紙 第二 3章16節)」と、神のみこころはみことばと御霊の働きによって知ることができることを語っています。多くのキリスト者が、しかも未信者であっても「祈ります」と言っているのにもかかわらず、ニューヨクー州知事が「死亡者が減ったのは神でも信仰心でも運命でもなく、私たちの努力によるものです」と言ったことばに、いのちを与えておられる神を、願いや祈りをお聞きくださる主をご存知ないことに驚きました。毎日コロナウイルスの情報が報道され、政治家も国民も悩みや恐れの中にいますが、安倍総理はじめ世界の指導者たちが願いを聞いてくださる神を知ることができるように、ソロモンのように神からの知恵が与えられますように祈ろうではありませんか。