私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ人への手紙4章13節)
1.詩篇37篇3節―4節
2.使徒の働き3章1節ー16節
3.コリント人への手紙 第一 15章9節―10節
4.コロサイ人への手紙1章6節―12節
パウロは「ひとつのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きをしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば、教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。(ローマ人への手紙12章4節―8節)」と、「さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。奉仕にはいろいろ種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの問題がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊によって信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくだるのです。(コリント人への手紙 第一12章4節―11節)」と、さまざまな働きや力は、神によるもの、御霊の働きによるものであることを語りました。ですから、彼は「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と、どんなことでもできる秘訣は「私を強くしてくださる方」すなわち、自分の力ではなく、主であり、御霊の働きによることを語っています。同じように、生まれながら足のなえた方が癒されたに驚いてペテロとヨハネのところに来た人々に対して、ペテロは自分の力とか信仰深さにおよるものではなく、「このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で完全なからだにしたのです。(使徒の働き3章2節―16節)」と言われました。他のキリスト者と自分を比較せずに、弱さを覚える時「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と仰せられた主のことばと、パウロの「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」ということばを思い起こし(コリント人への手紙 第二 13章9節)、今与えられている信仰と働きは主の恵みによるものであることを感謝し、主が喜ばれるようにキリストにある者として生きようではありませんか。