あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。(詩篇139篇3節)

1.詩篇11節―6
2.詩篇3718節―24
3.詩篇1215節―8
4.ペテロの手紙 第一 1章5節―7節

ヨハネの福音書1章11節―13節は「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々のは、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」とイエス様を信じた者は神の子とされていることを、その上、ローマ人への手紙8章15節は「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます。」とキリスト者には神の子として、御国を受け継ぐことの保証として御霊、すなわち聖霊が与えられていることを、神との関係が親子関係とされていることを語っています。 ところで、ヘブル人への手紙12章10節―11節が「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときには喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」と、親でも人と神との違いを語っています。ですから、ペテロは神の御力によって守られているけども、さまざまな試練の中で悲しむことがありますが、その試練は金よりも尊いものであることを語っています(ペテロの手紙第一1章5節−7節)。今日の聖句は「あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。」と活動している時でも、伏しているときも、いつでもどんな状況にあっても主は私たちを見守っていてくださるだけでなく、歩むべき道をご存知で導いてくださることを心に留め、さまざまな状況の中で心配したり、恐れたり、思い煩ったりせず、心配や恐れや思い煩いを、いつでも、どんなときにも見守っていてくださる主にすべて申し上げて明け渡し、主を信頼して生きようではありませんか。