笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14章13節)
1.詩篇4篇6節―8節
2.伝道者の書2章1節―3節
3.伝道者の書7章2節―6節
コロナウイルスによって死去された志村けんさんの訃報が報道されましたが、その中で彼が数年前に肺炎をわずらってから禁煙したそうですが、それまでは一日三箱吸うほどのヘビースモーカーであったこと、朝までお酒を飲むような生活をしておられたことも紹介されていました。人々に笑いを提供されていましたが、いかに人を笑わせようかと苦しまれたのではないか、本当はむなしい生活をおくっておられたのではないか、と思わされるとともに、桂枝雀さんのことを思い出しました。ある牧師先生から英語で落語をする枝雀さんのビデオをいただき、拝見しましたが、彼は「笑いは世界を変える」と話されながら「ワハハ、ワハハ」と何度も笑い声を発してはいるのですが、顔には全く喜びがなく、悲壮感がただよっているようにしか見えませんでした。後に、彼は自殺をはかり、病院に運ばれても意識不明のまま亡くなられたことも知り、今日の箴言が「笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。」と語っているように、人を笑わせても、心には憂いがあったのではないか、人々が笑ってくださるのを喜びとしていても、次回も同じように笑ってくれるかどうか保証がない不安の中におられたのではないか、と思わされました。「笑い」は喜びを表現するものでもありますが、「嘲笑い」というような、時には人を傷つけたり、怒りを招いたりするようなものがあるため、ソロモンは「笑いか。ばからしいことだ。(伝道者の書2章2節)」と、また「愚かな者の笑いは、なべの下のいばらがはじける音に似ている。これもまた、むなしい。」と、いばらに火をつけるとパチパチいって燃えますが、薪のような火力がなく、音は発しても煮炊きができないことになぞらえて「むなしい」と、むなしい笑いがあることを語っています。さまざまな苦難を経験したダビデは「あなたは私の心に喜びを与えてくださいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りに着きます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(詩篇4篇7節―8節)」と、この世が与えることのできない喜びと平安を主が与えてくださることを語っています。志村けんさんのご遺族の方々に福音が届きますように、芸能界の人々に福音が届くように、クリスチャンであることを公言された黒柳徹子さんを主が聖霊の力で満たし、キリストの証人として豊かに用いられますように祈ろうではありませんか。