私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。(詩篇94篇19節)

1.イザヤ書5715節―19
2.コリント人への手紙 第二 13節―5
3.ピリピ人への手紙44節―7

伝道者の書3章11節が「神のなさることをは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠(口語訳:永遠を思う思いを授けられた)を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、他の被造物と異なって、人には永遠を思う思いが与えられているので、箴言27章1節が「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」と、語っているように、人が理解できることや範囲は限られているにもかかわらず、さまざまなことを考え、予想して思い煩う弱さを抱えて生きているのではないでしょうか。毎日報道されるコロナウイルスに関する情報は、この時期、どのように過ごすべきかを教えてくださる以上に、買いだめする人々がおられることなどに見られるように不安や思い煩いを増す方向に人々の心を導いている面があるのではないでしょうか。人の慰めは思い煩いを弱めることができても、それは一時的なものであり、思い煩いが消えることはないのではないでしょうか。「取り越し苦労」という言葉が象徴しているように、思い煩ったことが必ずそうなるとは限りませんし、思い煩っても問題の解決にならないどころか、時間を無駄使いしていることになるのではないでしょうか。それよりも、ピリピ人への手紙4章6節―7節は「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と、思い煩いから解放される道を教えています。数々の苦難を味わったパウロは「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(コリント人への手紙 第二 1章4節)」と語っています。モーセの後継者として、約束の地に導き入れる使命が与えられたヨシュアに主は「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたのいく所どのにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア記1章9節)」と、仰せられたことばにヨシュアの心境と主の慰めを見ることができるのではないでしょうか。思い煩いが臨んだ時、今日の聖句「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」をもって祈るなら、ヨシュアに語られたように「わたしはあなたを捨てて孤児にはしません。(ヨハネの福音書14章18節)」と仰せられたイエス様から聖霊様を通して励ましのことばを思い起こさせてくださるのではないでしょうか。思い煩いの中に留まるのではなく、慰め主である主を見上げ、どんな時にもともにおてくださる主を喜んで生きようではありませんか。