私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ人への手紙1章16節−17節)

1.コリント人への手紙 第一117節―25
2.エペソ人への手紙13節―14
3.コロサイ人への手紙1章3節―6節

パウロはパリサイ人として生きていた時には律法をよくご存知でしたが、神の義を知らずに律法による自分の義に生き、神の力ではなく自分の考えや自分の力で生きており、イエス様について、イスラエルの歴史の中にいかに主が働かれて来られたかを話したステパノを殺すことに賛成しましたが、キリスト者になったパウロは福音の奥義を知る者となり、「私は、ギリシャ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」と語ってから、その理由を「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」と、語っているように、人の知恵や努力では得ることのできない「救い」と「神の義」が福音には啓示されているからではないでしょうか。パウロが「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。(コリント人への手紙 第一 15章3節―5節)」と語っているように、福音の奥義は十字架による罪の赦しと死に勝利したいのち、すなわち復活であり、それは人としてこの世に遣わされたイエス様によってのみ成就したことであり、しかもイエス様によってもたらされる救いと信仰(使徒の働き3章16節)は地球上に生きているすべての人のためにあることを心に据えて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているこの世の神から人々が解放されるように祈ろうではありませせんか(コリント人への手紙 第二 4章3節―4節)。