神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハネの福音書4章24節)

1.ローマ人への手紙1133節―121
2.ガラテヤ人への手紙516節−25節
3.ピリピ人への手紙3章1節―3節

「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」と、言ったサマリヤの女性に、イエス様は「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない。そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」と語ってから「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」と、場所ではなく、大切なのはどのように礼拝するかであることを話されました。ところで、ヨハネの手紙 第一 4章1節は「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出てきたからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。」と、霊を見分ける必要があることを語っています。世界には数え切れないほどの宗教があり、キリスト教界においてもさまざまな異端がはびこっていますが、それらのものは、にせ預言者によってもたらされますが、それは世全体を支配している偽り者の父である悪魔や悪霊の語りかけや働きによるのです。パウロは「私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です(ローマ人への手紙12章1節)」と語っていますが、その秘訣はイエス様が「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。(ヨハネの福音書17 章16節−17節)」と祈られたように、みことばと聖霊の働きによって聖くされるのです(ローマ他人への手紙15章16節)。ですから、みことばと聖霊が与えられているキリスト者こそ「霊とまこと」をもって礼拝することができるのですが、それは、人の努力や熱心さ以上に御霊の助けが必要なのではないでしょうか。自分の考えや思いを主にゆだね、主が求めておられる真の礼拝者となって、主が喜ばれる礼拝を捧げようではありませんか。