誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行うすべての者を憎まれます。(詩篇5篇5節)

1.詩篇731節―20
2.マタイの福音書713節―23
3.コリント人への手紙 第一 3章18節ー23節
4.ペテロの手紙 第一 4章18節―5章10節

エレミヤ書9章23節―24節は「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。―主の御告げー』」と、主と主がどのような方であるかを知っていることの大切さを語っています。キリスト者となったパウロは「もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。」と、自慢することがたくさんあっても、キリストはそれ以上のものであること語っています(ピリピ人への手紙3章4節―7節)。さらに「私はパウロにつく」「私はアポロに」と、自分の考えで生きているコリントの教会にそれぞれ主から与えられた働きがあっても一番大切なのは成長させてくださる神であることを語ってから(コリント人への手紙 第一3章1節―7節)「さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言ってきました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、『書かれていることを越えない』ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものではいものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(コリント人への手紙 第一4章6節―7節)」と、よく考えるように語っています。レバノンでのゴン氏の様子をニュースで見ながら、今日の聖句「誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行うすべての者を憎まれます。」を思わされ、彼が主を知り、悔い改めてザアカイのように(ルカの福音書19章8節)なって欲しいと思いました。パウロが「だれも人間を誇ってはいけません(コリント人への手紙 第一3章21節)。誇る者は、主を誇りなさい(コリント人への手紙 第二 10章17節)。」と勧めているように、他者と自分を比較して自分を誇るようなことをせず、私たちの主がどのような方なのかを、十字架で示された神の愛の中で生かされていることを感謝し、主をほめたたえて生きようではありませんか。