まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(ルカの福音書520節)

1.ルカの福音書189節―14
2.ローマ人への手紙310節―26
3.ピリピ人への手紙3章5節―9節

人は、とかく自分と他者と比較しながら、比較する相手によって優越感に浸ったり、劣等感に悩んだりしながら生きてしまいがちになるのではないでしょうか。エバとアダムは神から神が禁じた善悪の知識の木から取って食べたことを指摘されると、アダムは「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」と、神の警告をないがしろにしたことを謝罪しないで、「あなた」、すなわち「神」とエバが悪いのであって、自分は悪くないという態度をとったのですが、エバも「蛇がわたしを惑わしたのです。それで私は食べました。」と、神に謝罪せずに、自分が悪いのではない、と言わんばかりに責任を蛇に転嫁したのでした。それ以来、人は「自分が悪いのではない」と正当性を主張するようになってしまったのではないでしょうか。今日の聖句は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」と語っています。パウロはパリサイ人として生きていた時には神の義を知らずに、自分の義に生きてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、まことの神だけでなく、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知る者となったのでした。すべてのキリスト者には「神の義」が与えられており、天の御国に凱旋する者とされているのですから、パウロの「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも思うべき限度を越えて思いあがってはいけません。いや、むしろ、神はおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(使徒の働き12章23節)」という勧めに従って他のキリスト者と自分を比較して生きないようにしようではありませんか。