だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。(マタイの福音書6章24節 新改訳2017版)

1.マタイの福音書828節―34
2.マタイの福音書1916節―24
3.使徒の働き1911節―40

イエス様神と隣人を愛するように仰せられたのですが、パウロが「終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのとき人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。(テモテへの手紙 第二3章1節―5節)」と、キリスト者も気をつけなくてはならないことを警告されたように、愛する対象が全く異なっている状況は、まさしく今の時代を物語っているのではないでしょうか。お金を愛していると、悪霊を追い出し、正常な状態にして差し上げたイエス様ではなく、豚を失ったことに心が奪われたり(マタイの福音書8章28節ー34節)、救いを告げる福音を妨げるようなことをするなど(使徒の働き19章24節ー26節)、大切なことを見落としてしまいます。パウロは「金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を指し貫きました。しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。(テモテへの手紙第一6章9節―10節)」と、キリスト者の生きるべき道を語っています。この世に生きている限り、イエス様が「日々の糧をきょうもお与えください。」と祈ることを教えられたように、お金をはじめこの世が与えるさまざまなものが必要ですから、お金やこの世のものを持つことが問題ではなく、愛すること、すなわち、神をないがしろにして心がお金やこの世の富に向いてしまうなら、欲に支配され、イエス様が「茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。」と仰せられたように、御霊がキリスト者には与えられているのにも関わらず、聖霊を悲しませたり、聖霊を消す、すなわち聖霊が働けないような生き方をしてしまうのではないでしょうか今日の聖句「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」を心に据えて、むなしさを覚えるような時、自分は何に心がむいているのかを吟味するとともに、パウロが「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、キリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福して、くださいました。(エペソ人への手紙1章3節)」と語っているように、お金では決して買えない、イエス様の復活によって保証されている永遠のいのちが与えられていることを、永遠の栄光の中に招き入れられていることを感謝し、喜んで主に仕えて生きようではありませんか。