苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。・・苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。(詩篇119篇67節及び71節―72節)
1.申命記8章1節―18節
2.ペテロの手紙 第一 1章5節―16節
3.ペテロの手紙 第一 5章7節―10節
ソロモンは「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかし、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった魚のように、人のこらもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。(伝道者の書9章11節―12節」と、「日の下」すなわち、創造者なる神を認めないこの世を見た時、そこに起こる出来事を人は予測できないことを、そして「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く。(伝道者の書7章2節―4節)」と、人は苦しみや悲しみの中で人が問うべき一番大切なことに目を向けることができるのではないでしょうか。昨日も、「これでもか、これでもか」と豪雨が日本を襲ったために、亡くなられた方をはじめ多くの方々が家や財産を失い、恐れの中におられる被災地の方々のことを思うと祈らずにはいられませんが、今日の聖句が「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。・・苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」と語っているように、東日本大震災によってキリスト者や教会が地域の人々に仕えたので、「赤(共産党員)と耶蘇(キリスト者)」と言ってキリスト者を受け入なかった地域の人々の教会やキリスト者に対する考えが変えられ、多くの方がクリスチャンになられたように、悲劇を主が栄光に変えてくださることを心に留めて、被災地の方々の心が癒されるように、被災地の人々だけでなく日本中の人々がイエス様を信じ、伝統に基づいた神道や偶像崇拝から解放され、パウロが「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、渡したを引き離すことはできません。」と語ったキリスト・イエスにある神の愛を知り、空腹を覚えられたイエス様に悪魔が「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と言った悪魔に対して、イエス様が「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある」と答えられたように、私たちキリスト者も含め、人々が神のことばであるみことばに生きるように祈ろうではありませんか。