主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。(テサロニケへの手紙 第二 2章13節―14節)
1.イザヤ書43章1節―7節
2.コリント人への手紙 第一 15章39節―44節
3.コリント人への手紙 第二 3章6節―18節
このところ、ラグビーをはじめ陸上競技のW杯が放映されており、ラグビーをテレビで観戦しながら、日本の活躍に感動したりしていますが、この世の栄光を手にいれることのできるのは一握りの人々ですし、記録が更新されると、過去の栄光になってしまうような一時的なものではないでしょうか。しかし、イエス様はご自分のことを一粒の麦にたとえられ「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそれのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」と仰せられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と言うと、そのとき、「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と天からの声が聞こえたように(ヨハネの福音書12章24節―25節及び27節―28節)、イエス・キリストの栄光は十字架と復活に見ることができるのではないでしょうか。ですから、神が与えてくださる主イエス・キリストの栄光は、永遠のいのちを与えるものであり、コリント人への手紙 第二 3章18節が「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」と、今日の聖句が「主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。」と語っているように、主を信じるキリスト者には御霊が与えられるので、主イエスの栄光は人の努力によるものではなく、恵みによってすべてのキリスト者に与えられていることを、救われていることを喜んで生きようではありませんか。