主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。(詩篇86篇5節)

1.ネヘミヤ記99節―17
2.マタイの福音書1230節―32
3.ヘブル人への手紙104節―18

詩篇49篇7節―9節が「人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。―たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。―人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。墓を見ないであろうか。」と、そして詩篇130篇1節―4節が「主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。」と語っているように、すべての人は罪を犯したので、完全で聖なる神の御前にだれも立つことができないのですが、あわれみといつくしみに富んだ神は御子イエス様をお遣わしになり、全人類の罪に対する罰を十字架にイエス様をつけることによって負わせ、イエス様を信じる者はどんな罪でも取り除かれる恵みを実現されたのでした。イエス様は「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます、しかし、聖霊に逆らうことをいう者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。(マタイの福音書12章31節―32節)」と仰せられましたが、イエス様を信じたなら聖霊が与えられていますから、キリスト者には赦されない罪はないばかりか、全生涯の罪は十字架で支払われているのです。しかも、御霊、すなわち聖霊は神のみこころに従って聖徒のためにとりなしていてくださるのです(ローマ人への手紙8章27節)。後悔するようなことをしたり、言ったりしたとき、今日の聖句「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。」を思い出して、「主よ」と、主を呼び求め、それらのことを主の手にお渡しし、ヨハネの福音書1章16節が「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」と語っているように、十字架によって実現された恵みの中に生き続けようではありませんか。