いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネの福音書1章18節)
1.ヨハネの福音書6章32節―46節
2.ヨハネの福音書14章1節―11節
3.コロサイ人への手紙1章13節―17節
今日の聖句が「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と語っているように神を見た者がいないので、イエスさまが「あなたがたは聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。私は人からの栄誉は受けません。ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。(ヨハネの福音書5章39節―44節)」と、仰せられたように、人として遣わされイエスさまを神と認めるよりもさまざまな宗教の教祖と同じように考えてしまうふしがあるのではないでしょうか。かつて、イスラム教の青年指導者であったヨセフ・ロニー師は上層部から聖書を批判する本を書くように、と言われたので、聖書を詳しく調べ始めましたが、ヨハネの福音書1章14節「ことはばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」を読んだ時、衝撃を受けイエスさまを信じてキリスト者になり、牧師となり宗教裁判を受けられたとき「私には弁護士はいりません。私の弁護士はキリストです。」と言われたことが話題になったということをお聞きしたことがあります。人はとかく「天罰が下る」とか「そんなことをしていたら神の罰が当たる」というような神概念を持っていますが、私たちの弱さをご存知でとりなしていてくださるイエスさまの姿に、罪人を救うために御子イエスさまをお遣わしくださったことからも、神は愛であり、あわれみ深く、恵みとまことに満ちておられる方である、という正しい神概念をもって生きようではありませんか。