キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。(ガラテヤ人への手紙524節)

1.ローマ人への手紙83節―7
2.エペソ人への手紙417節―32
3.ヤコブの手紙112節―16

イエス様は十字架に架けられる前、父なる神に「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。(ヨハネの福音書17章16節―20節)」と、弟子たちだけでなくすべてのキリスト者はこの世に遣わされた者であり、この世に属して生きるのではなく、イエス様と同じように、聖別された者として生きることを願われましたが、聖別された者として生きるためには、みことばの真理に生きることであることをも語っておられます。ところで、今日の聖句は「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」と、イエス様のように聖別して生きることを妨げる、すなわち、みことばに生きることを妨げる要素が「肉・情欲・欲望」にあることを示唆しているのではないでしょうか。肉についてローマ人への手紙8章6節―7節は「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」と、イエス様の教えについて語る中で情欲についてエペソ人への手紙4章22節は「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたの心が霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」と、ヤコブの手紙1章15節は「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と、語っています。肉の思いや神の愛でなく情欲や欲望に支配され、悪魔に罪を犯すように誘惑されたエバのように生きないように、自分を生かそうとして自分に生きるのではなく、十字架のイエス様を仰ぎ見てキリスト・イエスにつく者として、聖別された者として生きようではありませんか。